「子育てを選択できる社会」への違和感…

予算委員会では、「子育てを選択できる社会」という答弁が何度も出てきました。

一見、その通りだと思うのですが…

でも私達、選択できていますか?
保育園、選べますか??
学童、選べるほどありますか???

「選択」という名目のもとに、しっかり整えるべき施設を整えなくてよい言い訳に使われてしまうような……危機感があります。

もちろん私も、家庭での子育てを否定する気は全く!ありません。周りに、素敵な専業ママも沢山います。

ただ、それが「選択できる社会」の結果ばかり…とは思えません。
女性に非正規労働が多いこと等、現実もあるからです。

子育てや家事は立派すぎる大仕事だし(育児より仕事のほうがはるかに楽!といつも思います)、地域で生活することは、「社会に出ていく」ことだと思っています。

お金を稼ぐだけが、働くことじゃない。
ただ、現実にある男女格差を克服しない限り、いつまでも女性が、母親が、弱い立場のままなのです…

「選択できる人」と、「働かなきゃいけない人」との、「格差」を広げるだけではないか?とか、
「働きたくても働けない人」のことを、考えているのかな?とか……。

何より、「家庭で子育てを選べるように」といったとき、そこで想定されているのは、母親でしょう……? その違和感!

保育園も学童も選び放題。夫も妻もたっぷり育休がとれ、マミートラックなんて死語になり、復帰してもちゃんと元の仕事に戻れる。男女格差もなく、ジェンダーギャップも世界に恥ずかしくないレベルになる。

そういうことが達成できて初めて、「子育てを選択」が議論できるのではないかな…と、思うのです。