国立歴史民俗博物館「性差(ジェンダー)の日本史」レポート

国立歴史民俗博物館にて開催中の、「性差(ジェンダー)の日本史」に行ってきました!
片道2時間以上…💦
遠いですが、行く価値アリ!

古代社会にはジェンダー区分はなく、祭祀も政も、男女が参加。女性リーダーもあたりまえ。父方の系譜もなく、天皇も男女判別のない「王」という記載。

それが…律令国家の誕生、中世から、女性は「御簾の向こうで顔を隠す」見えない存在になっていきます。それでも、独立した財産や処分権をもち、時に家長として政治にも参与(北条政子など)。

宗教も、奈良時代まではジェンダー差別なし。しかし元々仏教には女性蔑視の思想があり、それが徐々に広がり、「女性のほうが罪深い」「だから○○にすがれば成仏できる」という考えに変わっていきます。

職人、仕事の世界も、もともとは、男女平等。
女性中心の集団、女性経営者も普通でしたが、近世に入ると排除されていき、「女職人」…「女」というジェンダー記号が付されるように。
「花容女職人鑑」など、眺める対象としての女性という価値観も…

「女髪結」は、「髪は自分で結うもの」として、取締りの対象に。
働く女性への蔑視が強まっていきます。

女性が着飾って田植えをする「早乙女」も、歴史的に形成されたイメージで、田植えは日常的に男女で行っていました。

一方、江戸時代の大奥は、表(将軍付)、奥(御台付)にわかれ、実は政治的にも活躍。女官と男性役人が協業したり、大名の妻が夫のかわりに家を統率することも。
武家だけでなく農村、町の子女も、能力次第で昇進の可能性があったことが、当時の「奥奉公出世双六」からわかります。

女性も政治的権能を持っていた江戸時代から、天皇を「家」から分離し、女性を政治から排除したのが明治。
女官の免職を、男性が「愉快極まりない」と評したほど。

大日本帝国憲法に「皇位は~皇男子」の「男」が挿入されたのは、発布直前でした。

職業としての売春が登場したのは9世紀。
当初は遊女に価格決定権があり、宿泊業を兼ねたり、独立した営業が認められ、差別もなかったそう。
顔を表にださない(だせない)貴族女性にかわり、宴席で重宝されました。

遊廓のシステムができあがるにつれ、遊女は厳しい処遇と暴力にさらされることに…。

江戸時代、遊廓への金融ネットワーク、大店で働く手代(全員男性)の遊女による統制といった側面も。

(男性が)儲かるシステム+女性の貧困=遊廓という構造は、現代も変わっていないのでは、と感じました。

江戸の遊廓、吉原には、「吉原細見」という遊女一覧があり。憧れの存在であると同時に、遊女同士を競わせる統制システムでもあったと。
現代の、アイドル同士を競争させるシステムを、ふと思い出したのでした…

その後、芸娼妓解放令により、解放されたかにみえた遊女ですが、負債は残されたまま自分を売った親等のもとへ返されたので、実質的な身売りは続き、しかも建前では「本人の意思」となったので、共感から「淫乱だからやっているんだ」という蔑視へ変化。

特定の地域につくる集娼制として続き、特に軍隊には不可欠と、兵営そばにつくられました。

近代、性病(梅毒)検査が義務化されるも、義務は女性のみ、男性の義務はなかったので、ほとんどは客からうつされました。また、検査の費用も、公娼の税金から捻出したもの。

遊廓には「ふつう」の男性も通い、1938年がピークに。

イエと親の都合で売られた女性は、「自由廃業」を夢みつつ、借金は一向にかえせないという、厳しい現実に苦しみました。

労働現場でのジェンダーは、
鉱山で夫と二人三脚で働きながら、夜は夫は酒をのみ、妻は炊事に追われる。
公務員も、電話交換手や非正規、計算事務などで、出世は見込めず。
家庭で音楽は教えるけれど、音楽家になるのは男性。
女性は単純労働のみというジェンダーによる職務固定が続きます。

それは今にも、続いていますよね…

紡績工場で、福利の一環として、「月経帯」が支給された、というのも驚き。「福利」と同時に、「身体管理の強化」の側面ももちます。
生理用品の商品名「エンゼルバンド」「ミスコロナ」も興味深い…コロナ…

常設展も1日かかりそうな充実&広さ。まわりきれず残念💦

以上、帰りの電車からのレポートでした!