やっぱり恐ろしい教科…!道徳講座レポ ~子どもの心を守るには?
教科書に沿って、点数をつける=「教科化」された、道徳。
それがどれだけ「恐ろしい」ことか…子どもを守るために、ぜひたくさんの人に知ってほしい!考えていきたい!
道徳やインクルーシブ教育について、全国を飛び回って活躍される、現役教師の宮澤弘道先生をお迎えし、12/8、講座を開催しました。
講座のポイントを、お伝えします。
★「日本」って、なんだ?
皆さんは、「日本」と聞いて、どんなことを思い浮かべますか?
北海道、本州、四国、九州、沖縄がある、日本列島を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。
高口もそう考えていたのですが、宮澤先生の話を聞いて、ハッ!としました。
本来、国家というのは、「システム」です。
実際、海外の学生に同じ質問をすると、「行政、立法、司法」という三権分立=国のシステムを図式化して書く学生が多いそうです。
しかし日本は、道徳の教科書でも、
- 美しい自然
- 伝統文化
- 旬の食べもの
- 時間や約束を守る
- 礼儀正しさ
- 安全なくらし
- 人を大切にする
などを、「これが日本」として、紹介しているそうです(そもそもこれって、日本だけじゃないと思うわけですが…)。
「個」が国家とは独立して存在し、「市民」として参画する…と考える国家観ではなく。
国家のなかに、「私」が内包されたように、同心円的に考える、日本人。
それが、「お上」に弱い日本人独特の感情につながっている……その国家観は、戦前から変わっていないのかもしれません。
★道徳が、すべての教科の「扇の要」?
戦前は、「修身」(道徳の前身)が、すべての教科の「上」にある、とされていました。
戦後しばらく修身はなく、一部の世代は、道徳教育を受けていません。
しかし修身が「道徳」として復活。
その道徳が、今、どのような位置づけかというと……
すべての教科の「扇の要」
……つまり、すべての教科の基礎に道徳がある、と位置づけられています。
教科は、科学です。論理があり、根拠がある。
しかし道徳は「非科学」。それがすべての教科の「要」とされ、理科や算数でも、「道徳的」であることが求められます。
それって、何をどう客観的・論理的に考え、評価できるのでしょうか?
★道徳は、インクルーシブの観点でも問題!~「車いすの少女」「るっぺどうしたの」
教育を1本の木にたとえるなら、今、日本のインクルーシブ教育は、枝葉をたくさん増やし、「●●の障害の子はこっちの枝」「●●の子はこっちの枝」と、分けてしまい、肝心の幹がやせ細っている……
と、インクルーシブの問題も指摘する宮澤先生。
道徳も、インクルーシブ教育の障壁になっていると言います。
「車いすの少女」という教材は、溝にはさまって車いすから落ちた少女を、男の子が助けようとする。しかし少女の母親がそれを止める。少女は自力で車いすに戻る。母親は黙ってそれを見つめる……という作り話。
本来は、「溝を直せ」という行政に訴えるべき問題のはずが……「努力する障害者が、いい障害者だ」「障害者はいい人でなければならない」という、自己責任的な描き方をしています。
これは日本が、障害を、「社会モデル」(←世界ではこちらが主流)ではなく、いまだに「医学モデル」(←個人の問題)としてとらえているから。
低学年で出てくる有名な話が「るっぺどうしたの」も、個人の責任にしてしまいます。
朝起きられない、くつのかかとをふんづける、ランドセルのなかみをぶちまけてしまう、おさるのるっぺ。今増えている発達障害の子をほうふつとさせますが、問題は、るっぺが友達の目に、砂をぶつけるシーン。
「朝起きられない、くつのかかとをふんづけるような子は、友達に砂をぶつける悪い子だ」
という刷り込みが行われてしまうのです。
★道徳と、家族の問題~「ブラッドレーの請求書」
「ブラッドレーの請求書」も、中学年で使われる有名な教材。場合によって、ブラッドレーが「たかしくん」だったりするそうです。
ある日、「お使いちん1ドル」「おそうじした代2ドル」「音楽のけいこにいったごほうび1ドル」などの請求書を、お母さんに差し出すブラッドレー。
するとおかあさんは、「病気をしたときの看病代0ドル」「食事代と部屋代0ドル」といった請求書を返し、ブラッドレーは号泣して改心する…という内容です。
ネグレクトされているような子も、教室にはいる。
とても読ませられない……
という宮澤先生の話が印象的でした。
親子を一面的にしかとらえない、特に母親の愛情を強調する道徳。多様な家族がいて当たり前の今、このような道徳で「点数」をつけて、いいのでしょうか?
★全文読みと中断読み~「手品師」
高学年で有名なのが「手品師」。
売れない手品師は、ある男の子と仲良し。いつも公園で、その子に手品を見せていて、次の日も約束をしていた。ある日突然、一流の劇場から電話がかかり、出演を依頼される手品師(★)。しかし手品師は、「約束だから」と依頼を断り、男の子に手品を見せるほうを選ぶ……という内容。
この問題を、最後まで読まず、(★)のところで中断すると、子どもたちからは……
「劇場に男の子を招待する」
「お母さんと再婚する♡」
「男の子との約束を守って次の日公園に行ったが、男の子は忘れて、来なかった」
など、様々なユニークな意見が飛び出すそうです!
しかしこれを最後まで読んでから話を聞くと、「約束を守ることはいいことだ」という意見が多数を占めるそう。
教科書の力が、いかに強いか。
子どもたちにとって、教科書は絶対である。
そのなかで、道徳がこれまでのような「副読本」ではなく「教科書」になることの問題を、改めて感じます。
★平和教育としても問題が…~「東京大空襲の中で」
「東京大空襲の中で」という道徳教材では、まるで戦争が自然災害であるかのように描かれています。
なぜ東京大空襲が起こったのか?
そういった社会的、政治的、歴史的な課題には一切触れません。
だから宮澤先生は、道徳で平和教育を扱うことにも問題がある、と言います。
「愛国心などを教える道徳には反対だが、平和や人権を扱う道徳ならいい」という「内容論」ではなく、道徳という「形式」そのものが問題だという「形式論」の視点で反対することを、宮澤先生は主張しています。
個々の内容が問題なのではなく、道徳の教科化そのものが、問題なのです。
★「けんり」と「ぎむ」は、セットじゃない!
多くの道徳の教科書で、「権利と義務」がセットで語られてしまっています。
そもそも、義務を果たした人だけが許されるものが、権利ではありませんよね。
「権利」という考え方そのものが、間違っている。
だから、そのような自己責任を押し付ける道徳教育のなかで人権を伝えることは、非常に困難なのです。
★9年の道徳の集大成がコレ!?~「二通の手紙」
小学校、中学校の9年の道徳の集大成として、最後に用意される教材が「二通の手紙」。
母親の帰りが遅くてさびしがっている子どもたちがいました。動物園の職員さんが、その子たちを、閉園間際に、そっと中に入れてあげます。後日、母親から、感謝の手紙が届きます。しかしその後、その責任を問われ、会社から「懲戒処分」の手紙が届き……職員さんは、抗議するでもなく、これでよかったんだと、退職する……という内容。
えええええ!?そんな簡単にクビにしていいの!?
という雇用問題でもツッコミどころ満載ですが……
国が子どもたちに、どんな大人になってほしいか。規則に従うだけの従順な国民を求めているのではないか……9年の集大成のこの物語に、あらわれているのかと思うと、高口は、背筋がゾッとしました。
私たちができること…!
…と、ただただ恐ろしさがこみあげてきます。
高口が一般質問で道徳を取り上げたときも、教育委員会は「考え、議論する道徳」になっていると、平然と言ってのけました。
本当に、こどもたちが自由に考え、議論するためにはどうしたらよいのか……?
私たちにできることを、最後に教えて頂きました。
①中断読みを広める、勧める!
先生やまわりに、今回の話を伝え、「中断読み」を取り入れるよう、広めていきましょう!
②通知表に評価を書かない!
なんと、通知表というのは発行が義務づけられているものではなく、「サービス」なのだそうです。つまり、道徳の評価欄をもうけなくてもよいのです。
③内面に踏み込まない評価の書き方
残念ながら練馬区は、一律で形式がきめられ、学校の権限で、道徳の評価欄をなくすことができません。
その場合、こどもの内面に踏み込まない書き方を、宮澤先生は提唱しています。
「主として他の人との関わりに関することについて、友だちの意見を聞きながら、自分の考えを広げたり深めたりすることができました。」
↑この「自分の考えを広げたり深めたりすることができました」の一文を入れることで、内心の評価を避けることができるので、「この一文でまとめてほしい」と、先生に伝えていきましょう!
最後に…これからも道徳を、考えていこう!
ちなみに高口の場合は、道徳の授業があるときは、
こどもから話をきき、
「こんな考えかたもできるんじゃないかな?」
「社会的にはこんな解決の仕方もあるよね」
など、違う見方を提案するようにしています。
できるだけ、自己責任にせず、問題を解決するためにどう社会を変えていったらよいか、という視点を大切にしています。
それが、いまのこどもたちに、これからの社会に、必要なことだと信じるからです。
みなさんもぜひ、道徳の問題、まわりや、お子さんたちと、話してみてください。
↓宮澤先生のこちらの著書を読むと、わかりやすいです!おすすめです!
★「特別の教科 道徳」ってなんだ?: 子どもの内面に介入しない授業・評価の実践例