公共とは何か…問い直すべき時代!~高口、決算反対討論

市民の声ねりまを代表して、一般会計、国民健康保険会計、介護保険会計、後期高齢者医療会計、以上4決算の認定に、反対の立場で討論を行います。

保育園、学童、図書館等の指定管理、民間委託……。
今回の決算も、「官から民へ」の流れを大きく感じるものでした。

突然民間委託が決まった学童の保護者からは、

「いきなりなくなると知ってショック」
「今の先生を信用し、子どもたちも安心して通っている」
「なぜ委託にしなくてはいけないのか?」
「決定ありきで説明会をされても…」

という、不安の声が届いています。

生活を根底から支える福祉が、「民間の活力で、サービスが拡大する」との口実の下、実際には経費の抑制を大きな目的とし、労働者の権利保障に無関心な中で進められています。

その結果、起こることは、活力とは裏腹の、不安定な雇用、低賃金労働の拡大です。

私自身、就職氷河期ド真ん中の世代。3日は家に帰れない、朝から晩まで働いて手取りは16万…というブラック企業でも働きました。

「民」の厳しさ、下請けの弱さ、安定した労働環境のありがたさを、身に染みて知っています。「官から民へ」によって、疲弊するのは、現場の一人ひとりです。

世界を見れば、PFIやPPP、民間委託をいち早く推進してきたイギリスでは、不透明な運営、負担した税が市民に還元されないなど、問題が次々浮上。再公営化に舵を切るのが、今や世界の潮流です。

また、練馬区では先日、石神井図書館での防犯カメラの画像を、区の条例が求める適正な手続きのないまま、警察に確認させる問題がありました。これは、「民」にまかせすぎることの危険性を、私たちに問うています。

国が進める「官から民へ」の流れは、実は「官から私へ」…「公共」を、私的財産として囲い込むこと、市場の取引にのせることではないのか? …との指摘もあります。

私たちは今こそ、「公共とは何か」を問い直す時に来ています。

そしてこの練馬区、基礎自治体である私たちこそ、国の方針に流されず、公共を守る第一線にいます。

 

公共として、お互いを支え合う制度が、社会保険や医療・介護です。

しかし今回の決算においても、なし崩しの給付制限、負担が広がりました。社会全体で一人ひとりを支える…という、まさに「公共」の根幹が揺らぎ、制度の存在意義が問われるところに来ています。

決算の質疑で、私たちは、たとえば児童発達支援、放課後デイサービスでの福祉人材への区の独自加算など、根本的な施策を検討すべきと指摘しました。

課題を抱える方々の視点に立ち、本気で取り組むことが、公の責任、基礎自治体の使命であると、考えます。

公のあり方を考えるうえで、まちづくりの方向性も、危機感がつのります。

地域の議論と合意形成のプロセスを反故にする石神井公園駅の再開発事業。
石神井公園の商店街に深刻なダメージを与えかねない232号線。
大泉第二中学校の教育環境などへの影響が甚大な、補助232・135号線。
地域に溝を生んだ、旭丘・小竹地域の学校統廃合…。

先日私は、第四次優先整備路線に指定された放射35号線延伸部分の遺跡をめぐる、まちあるきに参加しました。下練馬道、田中道、埼玉道など、古い街道が、今もまちの中心道路であること。細い道は、水路や石神井川の支流の跡であること。

いまのまちのかたちは、積み重なった歴史のうえにあります。
まちなみには、意味がある。
それこそが、練馬らしさです。

そしてまちは、今だけのものではありません。
過去から未来へ、大きく影響を与えます。

まちを守りたいという声を無視して、「協働」など成り立ちません。
強引に押し切った末に待っているのは、「反感とあきらめ」です。
それは、明るい未来にはつながりません。

結論ありきではなく、自分たちのことを、自分たち自身が、多様な意見を出し合いながら、決定していく。主体となるのは、常に区民です。

そして、対話の参加者は、多様であるべきです。

しかしいまだ、区には、女性が一人もいない審議会が存在します。障害者、子ども、外国籍住民、LGBTなど、当事者の多様な意見を区政に反映できる仕組み、パートナーシップ条例などの人権を保障する制度を、構築すべきです。

開かれた対話を地道に重ねるプロセスのなかから、これからの公共が、築かれるのではないでしょうか。

練馬区がよりよい方向へ進むよう要望し、上記4議案に対する反対討論といたします。