この駅から、ブラック企業に通勤した20代…/氷川台駅頭演説

今朝は氷川台駅2番出口、正久保橋方面にて駅頭演説を行いました。小さい時からずっと使ってきた駅の出口です。

私は超氷河期まっただ中の世代で、大学卒業後、1年ニートを経験。海外ひとり旅や、演劇の自主公演など回り道をしつつ、専門学校を経て、就職。その会社は…いわゆる今でいう、ブラック企業!

2、3日帰れないのは当たり前。着替えを常備し、椅子を3つ並べて寝て、体はバキバキ。社内には「万年床」のスペースがあり、「エデン(楽園)」と呼ばれていました。「俺は最長で、1ヶ月帰らなかった!」と豪語する先輩。それでも当時は若かったし、「そういうもの」と思っていました。

朝起きてから夜寝るまで、休まず働き続ける。それはそれで充実もしていました。自分の仕事だけに、集中していればよかったからです。氷川台駅は、そんなふうに通勤していた思い出が染み込んでいます。

でもやっぱり、「このままじゃ体を壊す…」と、退職を決意し、フリーランスに。その後、結婚、妊娠、出産。母になって、とても前のような働き方はできないと、フリーで働き続けてきました。

働くとはなんだろう。レールは一本だけで、そこから振り落とされたら、もう元のコースには戻れない。だから必死でしがみつくしかない。振り落とされた人は放っておくしかない。そんな社会は、やっぱりおかしい。

一人ひとり、自分に合ったレールがあり、好きな車両に乗れる。色も形もスピードも、人それぞれの列車。人生の転機にあわせて、乗り換えも自由。逆戻りも自由。そんな働き方ができるようにしたい。

hahacoワーキングという、働く母のグループを仲間で作り、「自分らしい働き方」を試行錯誤してきました。もっと選択肢のある練馬に。働く世代の一人として、取り組みたい! 駅に立って、毎日そう感じています。