「親の子育て力の低下」!?区長の所信表明について

年4回ある議会で、毎回初日に、区長が「所信表明」を行います。今議会初日の所信表明で、こう発言しました。

「児童虐待など深刻な事案は、育児の孤立化や親の子育て力の低下が進む、東京都区部など大都市で多く発生しています」
「児童虐待を未然防止するため、ショートステイ事業を実施するとともに、妊娠期からの子育て力向上に取り組んでいます」
https://www.city.nerima.tokyo.jp/kucho/shoshin/shoshin3009.html

「親の子育て力の低下」とは、なんでしょうか……? 私たち、毎日必死で子育てしています。それが「低下」??

低下しているのは、地域で子育てを支える環境、時代の変化であって、私たち「親の子育て力」ではない、と高口は思います。

子どもは、地域で、社会で、育てるもの。

そもそもひとは長い時をかけ、共同で子どもを育ててきました。以前「NHKスペシャル」で見たのですが、産後の女性は、仲間を求めるようなホルモンが出るのだそうです。人は「孤育て」をするようにできていないのです。今のように核家族化がすすみ、親だけに育児の負担がのしかかるようになったのは、ここ最近、たった数十年のこと。

変化したのは、「地域で子育て」という環境や時代のほうであり、親の責任を強くすればするほど、子育ての様々な問題が起きるのです。私自身親として、「親の責任だ」という風潮に抗いながら、どうすれば共同で子育てできるのか、悩みながら試行錯誤してきました。

そのなかで、「親の力が低いせいだ」ととれるような表現することが、どれだけ危険か。その言葉が、今がんばっている親を、どれだけ追い詰めるか。私はこの言葉を聞きながら、心の底からふつふつと怒りがわきました。同時に、今私たちが何に悩み、苦しんでいるか、まったくわかっていないことへの失望を感じました。

そもそも「親の子育て力」とは、何をさしているのでしょうか? 「大都市で親の子育て力の低下が進む」根拠は……?

 

この件について、区に問い合わせました。

Q 子育て力とは何を意味している?

A こどもを育てる経験や技術不足のなか、親がどう育てていいかわからない。たとえば、「歯磨きはこれでいいのか?」など、具体的な問い合わせがある。経験不足、養育力の低下。

Q 「子育て力」という表現をなぜ使ったのか?

A 少し古い資料で、内閣府白書に「子育て力が以前より低下している」という表現があり、区民にわかりやすい表現を使った。直近のデータは持ち合わせていない。

 親の子育て力の低下という発言は、今子育てしている親を傷つける、悩んでいる親をさらに追い詰める言葉。親の力の問題ではない。

A 原因は社会の全体であり、向き合って支援しなきゃいけないと思っている。追い詰めるつもりはないし、親の力がないとも考えていない。職員の間でも、表現が、「最終的にそう思われる方もいるかな?」という話になった。

……区としても、親の責任とするような考えはないとのことでしたが、であれば、そのようにとらえられる表現を使わないのが当然ではないでしょうか。それなのに、わざわざ、議会の所信表明で発言したのです。

もっと今の親、子どもたちのことを、ちゃんと理解し、寄り添うために。今子育てする私たちが、もっと声をあげていかねば!と思います……。