夫の余命宣告と、地域にこだわる理由

今日は、夫のことについて綴ってみたいと思います。

夫のがんが見つかったのは、まだ38歳。子どもたちはまだ、4歳と1歳でした。

夫は、絵に描いたような真面目な性格で、酒もタバコもやらない。
いつもまっすぐ家に帰って、育児や家事をしてくれました。

上咽頭癌という、日本人ではとても珍しいがんで、発見時にすでに、ステージ4でした。

それでも、強い抗がん剤と放射線治療を受け、回復。
12月31日、「どうしても家に帰りたい」と、帰宅。
家族で新年を迎えられたときは、本当にうれしく……「もう大丈夫だ」と思っていました。

唾液腺が放射線でダメになり、嚥下が困難に。栄養ドリンク1缶を飲むのに、何時間もかかるように。

夫がどんどん痩せ細っていくのを見るのは、つらいし、恐怖でもありました。
(だから私はその時、「一生、ダイエットはしない」と決めたのです(^_^;))

少しずつ食べられるようになり、春には仕事に復帰。
もう大丈夫だと思ったのですが……

1年後に、再発。
脳に近いため、手術も不可能。
すでに一生分の放射線を浴びたため、放射線治療もできない。

セカンドオピニオンなども受け、他の治療法も探しましたが、どれも難しく……断念。

余命宣告「半年~1年」を受けましたが、故郷へ帰り、書の個展を開き、子どもたちの卒園、入園、入学を見届けることができました。

(正直、あの頃を振り返ると、今でもとても苦しいです。夫に何もしてあげられなかった……後悔ばかりだからです)

緩和ケア科を退院ののち、在宅医療・介護に切り替わり。
私自身は、必ずやってくる「夫の死」と、「これからの不安」をどうしたらいいのか……。
答えのないまま、「とにかく、家に閉じこもらない。密室にしない」と直感。

困難を抱えているからこそ、その状況を隠さないこと。
できるだけ地域に、子どもたちの姿が見えるようにしていくこと。

ひとり親になり、私に何かあるかもしれない。
そのとき、子どもたちの成長を見守ってくれる大人が、一人でも多く地域にいることが、一番大切ではないか。
金銭的な援助という意味ではなく、「大きくなったねえ」と見届けてくれる大人が、たくさんいることが、子どもたちの育ちに必要だ……と感じました。

私の子ども「だけ」を見守るのではなく、地域の子ども「たち」を見守ってくれる大人「たち」の目を増やしていくこと……。そういうまちにしていきたい、と思いました。

「家にとじこもっちゃいけない!」という本能のような衝動で……
これまでやっていた地域の活動を、もっと広げるようになりました。

そんななかで、市民の声ねりまから立候補の話を受け、数ヶ月悩みました。
でも、「地域」という思いへの延長線上に、政治の場でやれること、やるべきことがある、と思い、決意しました。

「地域」というのは、生きる場所です。
「国家のオマケ」とか、「行政の協働機関」とか、そういうものじゃない。

昔ながらの地域のつながりが薄れる今、新しい地域のカタチを、もがきながら、考え、作りたいと思っています。
これからもきっと、ずっともがいていく……そのために、区議会議員をめざそうと思いました。

なんだかとりとめがありませんが……(^_^;)
夫ががんになった時から
「思えば遠くにきたもんだ」
と、ふと思う日々です。